あべの翔学高校 軽音楽部顧問 柏木成一郎先生 インタビュー

インタビュー06 あべの翔学高校 軽音楽部顧問 柏木成一郎先生

2007年から7年連続優秀校賞を受賞しているスニーカーエイジ常連校 あべの翔学高校(旧 大阪女子高校) 軽音楽部。さまざまな課題を抱えながらも、それを乗り越え、グランプリ大会へ進出しています。昨年は経験の少ない1年生ばかりのチームを牽引することとなった、あべの翔学高校 軽音楽部 顧問の柏木先生に、スニーカーエイジにかける想いをお伺いしました。(取材は第34回大会の予選会前に行わせて頂きました)

毎年予選会の前に何らかの問題が起こる。今年は例年以上に厳しい条件の中、1年生主体のメンバーでグランプリ大会出場を目指す。

あべの翔学高校 軽音楽部顧問 柏木成一郎先生

うちの軽音楽部って、毎年夏の予選会の前になったら、必ず何かしら問題が起こるんですよ。今年は部員たちにとって、ちょっと悲しかったり、苦しかったりするような出来事があったので、部員たちが落ち込んでしまって、その壁を乗り越えるのに1週間以上かかりました。
また、今年は去年の主要メンバーが引退したので、1年生主体のチームなんです。スキル面はもちろん、スニーカーエイジに出場したことのない子たちばかりだというところが気がかりでした。スニーカーエイジの良さを体験していないから、プレッシャーばかり大きく圧し掛かっている状態なんですよ。

「大阪女子高校」として活動する最後の年。部員たちにはさまざまなプレッシャーが圧し掛かる。

あべの翔学高校 軽音楽部 演奏

スニーカーエイジの出場は、今年で11年目になります。最初に予選を突破したときの世代はスニーカーエイジへの想いを直に受け継いでいましたが、今の子たちは違う。ここ6年間は予選を突破しなかったことがないので、周りからは「常連校」という見方をされています。だから「連続出場を途切れさせてはいけない」と考えてるみたいです。「予選突破」が自分たちのモチベーションとは別のノルマになっていて「ノルマ=自分のモチベーション」に繋げるのが難しいんです。
更に、2013年は「大阪女子高校」という名前で活動する最後の年なんです。学校が共学になって、2014年から「あべの翔学高等学校」という名前に変わります。「大阪女子高校としては最後なんだ」という、例年とは違うプレッシャーがメンバーに圧し掛かっています。

求められるものと、自分たちの現状とのギャップ。大切なのは「スニーカーエイジに挑む心意気」。

あべの翔学高校 軽音楽部顧問 柏木成一郎先生

6年間優秀校賞と言えば響きは良いですが、実際のところ「スニーカーエイジで求められるもの」と「自分たちの実力」とのギャップがどんどん開いてきています。そのギャップがプレッシャーとなって、今の部員たちを更に苦しめています。特に1年生たちにとって、そのプレッシャーは大きいと思います。
近年、スニーカーエイジ出場校のレベルが上がってきています。どの学校さんも平均点以上でやってくるので、自分たちがどこまでやったらよいのか……本当に終わりが見えませんね。
だから、私は常日頃部員たちに「とにかく最後の最後まで諦めないこと」を伝えています。しんどいこと、苦しいことを乗り越えていく過程で、心は磨かれていくということ。スニーカーエイジっていうのはそういう場であること。自分たちは音楽を通じて、自ずと生き方を学んでいるんだ。そういう話をしています。

あべの翔学高校 軽音楽部顧問 柏木成一郎先生

「絶対、来年は予選突破してやる!」11年前から引き継がれている、グランプリ大会出場の想い。

スニーカーエイジという大会の存在は、ずっと知っていました。ところがうちの軽音楽部というのは、まだそういう場所に立つだけの力量がないと感じていて、ずっと横目で見ている状態でした。
初めてスニーカーエイジに参加した部員たちはいわゆるやんちゃな子たちの集まりで、私が病気で顧問を休んでいたということもあり、エネルギーをどこに向かわせたら良いか分からなかったんでしょうね。私が退院して、学校に帰ってきた時、その子たちからスニーカーエイジに出たいって相談がありました。その子たちは、楽器を始めて4か月の2年生4人で、スニーカーエイジと学校の文化祭が終わったら軽音楽部はやめるつもりだったんです。でも、実際にスニーカーエイジの予選会に出場して、優秀校賞に選ばれなかったとき、何か取り残されたように感じたそうです。そこでハートに火が着いた!「絶対、来年出てやる。絶対、予選突破してやる」って。その次の年は、その先輩たちの姿を見て軽音楽部に入って来た子たちと一緒に初めて予選突破を果たしました。そのときのことは、今でも忘れることができませんね。

周囲の協力を力にして、今年もスニーカーエイジの舞台へ挑む。

あべの翔学高校 軽音楽部

昔は「軽音」そのものに対しての風当たりが今より強かったです。軽音楽部の部室はグランドの外にあるプレハブで、クーラーなんてなくて、扇風機が1つあるだけでした。しかも窓開けたら苦情がくるから、窓を締め切って練習してました。
スニーカーエイジでの活動が認められはじめると、クーラー付きの部室も与えられたのですが、まだまだ「軽音」というイメージがクリアーになったというわけではありませんでした。学校説明会をするときに「軽音楽部ががんばってるから、出てもらったらどう?」と議題に出ても「軽音はお遊びになるから」と断られました。こっちはお遊びでやってるつもりなんて全くありませんよ。でも、やはりまだまだイメージの向上が必要みたいですね。
ここ数年はスニーカーエイジで予選を突破することによって、学校説明会でも軽音楽部に演奏してもらおう、学生さんの前で演奏してもらおうって、誘われるようになってきました。今では「どこに出しても恥ずかしくない子たちだな」と、応援してくださる方も増えてきました。生徒たちも「学校にバックアップしてもらってスニーカーエイジに出演できている」という意識を持ってくれています。
だから、今は胸を張ってスニーカーエイジグランプリ大会に向かってがんばっています。今年も問題は山積みですが、ぼくも部員たちも諦めていませんよ。お客さんの期待を裏切らない、いえ、それ以上のもの、今年のメンバーにしかできない演奏をお見せしてみせます!


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