HOME > スニーカー物語 > プール学院高校 フォークソング部顧問 久保義道先生 インタビュー

スニーカー物語 Sneaker story

2004年の初出場から今年で10回目の出場になるプール学院高校フォークソング部。3回連続グランプリ大会出場とグランプリ常連校としての地位を確立しつつあるプール学院高校フォークソング部 久保義道先生に、今年のスニーカーエイジにかける想いをお伺いしました。

創部して間もない頃は、「エネルギーを音楽で発散できてたらよし!」で活動していた。でも、やっぱり目標がなければクラブにまとまりは生まれない。

本校のフォークソング部の創部は1979年です。当時は同好会で、本当に自由奔放な状態でした。ルールもなかったので、生徒がPA機材とか自由に持ち込んで、大音量で演奏するわけです。チャゲ&飛鳥やオフコース、松任谷由美など、当時人気アーティストのコピーを、大音量で演奏するわけです。そしたら案の定先生方からお叱りをうけました、30年以上昔の話ですけれども(笑)。
私が顧問になったのが創部2年目の年ですが、その頃同時にスニーカーエイジが始まった頃だと思います。当時はアコースティックギターでの演奏が主流ということもあり、生ギターを生徒1人1人もたせようと考え、三木楽器さんに学校に来てもらいました。生徒が好きなギターを選んで人数分購入しました。そういう縁があって、スニーカーエイジの存在は知っていました。しかし、まだ当時は後援に教育委員会がついてなかったり、業者のイベントということもあり、学校に出場を願い出ても無理だろうと、正直諦めていました。
80年代に入ると、様々なジャンルの音楽に手を広げて、楽器もドラム、電子ピアノ、エレキベース、エレキギター、と順番に電気楽器を導入しました。楽器は良くなっていくのに、部員たちのスキルはひどいものでした。チューニングもままならず、自分が弾いている音がどんな音かもわかってない状況でした。スニーカーエイジに出演するまでは、やんちゃな子たちが多くて、少しずつ部員も減っていきました。やっぱり、目標がないから部員がまとまらず、クラブの力もうまれませんでした。
その間、毎年のようにスニーカー出場をずっと勧められていました。そこでダメもとで出場交渉してみたら、難なくオッケーがでました。それが、2003年の話で、翌年の2004年に初めて出場したのをはっきり覚えています。

やんちゃな生徒を連れて出場。最初の3年はずっと圏外だった。4年目、5位入賞してから生徒のスイッチが入った。「私たち、もっとうまくなりたい!」

初出場から3年間は、ずっと圏外でした。やはりマナーやエチケットのレベルが低かったと思います。当時を思い出すと、化粧はするは、スカートは短いは、顧問のいうことは聞かないは(笑)。今思い出すと、それでも可愛いい生徒でしたけれど。
ところが、2007年の予選会から表彰式の後、3位以降も学校名が呼ばれる様になったんです。帰る準備をしていた時に、「5位 プール学院高校フォークソング部」って、初めて自分たちの学校の名前が呼ばれました。生徒達はどれほどびっくりしたことか。特に1年生が喜び驚いていました。そして、1年生のから、「私たち、もっとうまくなりたい!」という声が上がり、「他の学校と交流会をしたい。」って直訴してきました。
そこで三木楽器さんから、本校に近い大阪女子高校さんを紹介してもらいました。実際、グランプリ大会に出場している学校なので、レベルが全然違うわけです。自分たちの力のなさを痛感させられたわけです。このままではダメだと、気づきクラブ全体が大きく変わった時でした。大阪女子高校の柏木先生や当時の部員の皆さんには本当にお世話になりました。
さらに、他校との交流が増え、大阪樟蔭の増井先生にも合同演奏会で大変お世話になりました。

生徒の意識が変わってから、自分たちの強みがわかってきた。クラブ全体が、毎年少しずつステップアップしていくのを生徒自身が実感。

自分たちの実力を知ってからの1年間は、他校へ出稽古に行くこと、それから公の場所でステージに立ち実践経験を積むことに集中しました。三木楽器さんからもシンポジウムやクラブ運営についての勉強会なども企画していただき、技術面からクラブの運営方法までたくさんのことを教えていただきました。また、当時、住吉商業高校顧問の吉村先生にも、基本練習の方法やクラブ運営面でステップアップにつながるお話をお伺いしました。そこで一番に気づかせてもらったことは、「基礎練習」が何よりも大切であることでした。他校との交流で多くのことに気づかされた1年で、目の前の乗り越えるべき課題が見えてきました。そこから「見る人、聴く人に伝わる音楽」を真剣に作っていくことで、徐々にクラブには一体感が出始めたのです。

毎年メンバーのカラーが違う。今年は、まとまりのあるチームです。自分達のすべてを出し切ってほしい。

今年、スニーカーエイジのステージに出演する生徒達の印象は、一言で言えば「まとまっている」です。演奏テクニック面では問題ないと思っています。後は、演奏を「伝える力」が今の課題ですね。ここ3年間 、グランプリに出させて頂いていますが、それぞれ全く違うカラーのチームで勝負に挑んできました。
グランプリ大会初出場の年の部長がものすごく強烈な個性のある生徒で、一人のパワーで部員たちを仕切り、引っ張って行ってくれました。個性が強い分、部員同士でもぶつかり合いはありました。けれども、最後はその生徒の影響がプラスに働き、パワフルな演奏で自分達の良さを出し切ってくれました。
今年の生徒たちには、自分達が本当に楽しんで、ステージから観客の心に届くパワーを出してもらえるように自分たちの力を出し切ってほしいと思います。

スニーカーエイジとは、人として成長でき、感謝の想いを学べる場所。学校では学べないことが山ほどある。

スニーカーエイジという大会は、生徒達にとって、この上ないほどの良い場所を与えてくれていると感じています。出演する度にレベルアップが求められ 、毎回ひとつ上の目標を設定できるような、凄い舞台だと思います。
たくさんの方々に支えられて、プロでも与えられないほどのステージに自分達が立たせてもらえる。それに対する感謝の想いを学べる物凄くよい場所だと思います。音楽的なことだけでなく、人としての基本も一緒に学べる貴重な場所だと実感しています。挨拶はもちろん、人への気遣い、感謝の気持ちなど、生徒には日常の活動や大会を通じてたくさんのことを学んで欲しい。ステージに立つメンバーだけでなく、応援のメンバーも同じです。ステージに出ている人が中心ではなくて、応援もちゃんとフォーメーションを組んでやるから、誰ひとり欠けてもダメなんです。「プレイヤーと同じように応援のみんなも怪我したらあかん。一人欠けたらフォーメーションが崩れてしまって、全員に迷惑をかけることになるから。」と、いつも口をすっぱくして言ってます。そして、常日頃一番生徒達に伝えていることは、「フォークソング部のメンバーである前に、プール学院の生徒であるということを自覚しなさい。」ということです。学校の代表としてスニーカーエイジに参加させてもらっているという意識を忘れず大会に臨んでほしいと。スニーカーエイジは、そういうことを必然的に気づかせてくれる大きな機会なのです。

「思い出にするな、財産にせい」仲間の為に一生懸命になれる気持ちが成長につながる。

過去、スニーカーエイジに出場した卒業生も、よく応援に来てくれます。大学でも音楽を続けている卒業生も結構います 。
どこかの高校野球の監督の方の言葉なんですが、「甲子園を思い出にするな、財産にせい」って。スニーカーエイジも全く同じだと思います。ステージに上がれなかった生徒たちが、その舞台の生徒たちのために一生懸命ポンポンを一日中ふってるんです。仲間の為に応援することで、帰属意識が高まり成長につながっているのだと強く感じています。